あるブログを読んで書かれていたのだが
ゴルフコンペの懇親会で、その道30年の車屋さんがいて
ここ最近の仕事が全く面白くないらしい
昔の車と違って今の車は故障が少ない
故障したとしてもメーカーしか直せない仕様になっていて
一般の車屋が何かするということもなくなってきたという。
そうなると主な仕事は一般的な修理や車検になりそう
車を弄るのが好きだった人にとっては
仕事が面白くなくなってくるということだろう。
仕事がワクワクしないと言っても
生活の為に惰性で仕事を続けるしかない
どこかで流れを変えないといけない
ブログの筆者はワシらが乗ってる旧車
マニアックな奴しか乗らない車を扱えば
ガソリン車やキャブ車で直せると話をしてみたが
微妙な顔をしていたという。
まぁ、畑違いから見れば簡単そうでも
旧車を修理する為の部品の調達などを考えると
業態を変えることは簡単ではないだろう
ただ社長にワクワク感がなかったら
それがお客にも電波して良い結果を産まない
まずは何をやるのが1番ワクワクするか
それを金で儲けるのを棚に上げて
何が1番ワクワクするか考えることが最優先のような気がしたと締めくくっていた。
思えば自分もイラストだ、ゲーム作成だ
AIだなんだと齧ってはみたけれど
どれも三日坊主みたいなものだった。
思えばワクワクのことは考えいなかった
これでお金が稼げたらなーという皮算用からスタート
しかし見ていればわかる。
特にAIだ
AIは絵描きやゲームと違って
子供の頃からAIを触るのが好きでしたって人は今いない
そこでAIを活用している人を見ていると2つに分けられる
まずAIを利用して稼いでいる人
これはどちらかというとAIというネタで
使い方稼ぎ方を教えるスタンスで稼いでる感じがする。
この手のタイプはネタが変わるだけで
いつの時代でも新しいことを嗅ぎつけてやってそう。
2つ目はAIを使うことを楽しんでいる人
AIで稼いでいる人よりも稼いでなさそうだが
利用実態がSNSでも見える。
それで副収入化することもあるだろう
前者は稼げる能力がある人がやってること
後者はワクワクするからやっている感じがする。
ズバ抜けた稼ぐ能力があるわけでもなければ
多くの一般人が目指すのは後者のタイプだろう
稼げない、ワクワクしないでは
一般人が勉強でも長続きすることはない。
そうなるとイラストもゲーム作りも
憧れはあるけれども、飛び抜けてやりたい事かは疑問
課題で出されたら喜んでやる立ち位置な感じ。
まだゲームは一本くらい完成させたい感あるが
そうなるとやりたいことが見つからないってのは
好き嫌いが明確ではないのに起因する気がしてきた。
よく好きなことを仕事にとか
趣味や興味を突き詰めてというが
むしろそれがわかんねーんだよって人はいると思う
自分も聞かれたらうーん?ってなると思う
やはりまず第一なのは自分の好きを
浮き彫りにすることではないだろうか
だが、じゃあ自分はコレが好きですって人は
そもそも困ってないだろう。
我々のような人間は浮き彫りという通り
まずは嫌いを明確にしていく方が良さそうだ。
好きを把握していない人でも
嫌い、何となく嫌だなというのもわからない人は少ないはず
自分なら痛いのは嫌だなーとか苦しいのは嫌だなーとか
9時から仕事は通勤ラッシュに巻き込まれるから嫌だなーとか
サビ残嫌だなーとか、心理的安全性がないのは嫌だなーとか
そういうのはパッと思いつく
じゃあそれが好きに繋がるかってのはわかんないけど
コレが好きアレが好きって
受動的だと発見難しそうだよねぇ
まずワクワクが第一ではあるけれど
大半のことは感性の問題であって
スキルに繋がる好き嫌いじゃないことも多い
でも自分の好き嫌いを自覚するのは大事なことだと思う
特定のキャラクターを良いなと思っても
だいたいは何となく良いなと思うだけで
なぜ良いかまではわからない
それは感性で判断しているから
これを言語化して自分の好みを明確化できれば?
できたところでスキルや収入とはすぐに結びつかないだろうが
そうした感受性を育てておけば
どこかでピンと来る事に出会えたら
コレだ!って思えるアンテナは磨けると思う。
昨日TVである島を紹介していた。
人口が減っていく危機感から
知り合いの漫画家に空き家に絵を描いてもらい
漫画島として島起こししていた話。
大半の人は漫画島を見て帰っていく
そう、島起こししてもお金を産む場所がなく
そこで愛知から来た一家が島唯一の飲食店を経営した。
これも同じ県で移り住むならともかく
愛知からって遠いな
しかも小学生の子どもたちがいて島に移住って
なんとも思い切りが良い。
好きだからやり始めたことではなく
島の存在を知って動いた結果
サラリーマンの時は通勤2時間で
子供が起きている時間に帰れなかったが
今は子供と過ごす時間が増えたとお父さん言っていた。
これもある意味で好き嫌いの結果だろう
好きではなく、現状の生活に対する嫌
あとは運命的なものもあると思う。
島の存在を知ったからって
家族で移住して飲食店やるぞって
そうそう誰でもできることじゃない。
瀬戸内海には猫島もある
愛媛側の猫島はもう島仕舞いを始めているが
香川側の猫島は飲食店兼宿泊施設がある
それも移住者がやりはじめた。
うさぎ島は企業がホテルと温泉を建てているが
それ以外の小さな島は移住者次第かな
いくつかの島と小豆島を巡って思ったのは
島への移住はそこまで自分は惹かれないということ
むしろ活動範囲が狭いのが住めば窮屈になるだろう
都会の人混みで疲弊した人は島暮らしは魅力かもしれない
自分は都会じゃないのと、田舎すぎるほど田舎ではないので
今の場所でそこまで不満はないのかも。
ただ、何かしら本気で取り組まねばと思っている。
今の職場もいよいよ3年後はわからない。
そうなるとどうなるかわからない
新たな職探しとなると、なかなか難しいだろう
さて、どうするか
そう思い始めて10年経とうとしている
精神はわずかに成長しているが
スキル面ではまだまだだな
行動範囲が増えたから人と話した時に
観光地の話題ができるくらいにはなったが
昨日は海外のグルメ番組が京都に来た回を見ていて
やはり京都で案内する人も仕事している人も
英語ができていたのが印象的だった。
アメリカで暮らしていたことがあるとはいえ
94歳のお祖父ちゃんも英語駆使して
国家資格の最高齢案内士やってるとは
今は手に職をつけるにも英語ができた方が良いし
自分も英語学びたいところではある
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