思考は記録しておかないとこぼれ落ちてしまう。
あれ、何を考えていたんだっけと思い出すのは簡単ではない。
ここはそんな自身による思考の止まり木として
日々考えたことを書いていく場所となる。
being思考とついているのは
転職の思考法という本にあった
99%のbeing型と1%のtodo型の話を聞いて
あ、自分はbeing型だわと思ったから。
思えば何をするか、目標に向かって何かを考えるよりも
どうありたいかの状態で考えていた。
10代20代の頃は悪い意味でそういう状態を目指していた。
辛いこと、苦しいことがなければ
嬉しいこと、楽しいこともなくていいと。
being型という発想を得なければ、これbeing型の思考だと気付けなかった。
そこから自己啓発本なり、メルマガなりセミナー音源なり
このままじゃやばいと思って手を出したわけだけど
確かに精神的には成長した。
辛いこと苦しいことがなければ
嬉しいこと楽しいことなくていいなんて考えはなくなった。
この考えは感情を殺す呪いみたいなもんだからな
ただ、あれから生活が変わったかと言われると変わってない。
あくまで内面が磨かれたなという感じ。
給料なんて額面17万×12ヶ月で年収200万ちょっとですよ
平均にすら届かないレベル。
残業やってようやく手取り15万これで180万なわけだけど
普通の人たちから少なすぎ…転職したら?って思うはず。
俺も今の部署と違う部署に行ったときは
働く時間は今のフルタイム以上だったのに
残業代が1円も出ず、職場も働きやすくなく限界だった。
額面17万、手取り13万弱でやってられるかと思って
そこで辞める決心をした。
結果的に今の部署に戻ってきたわけだけど
働きやすいだけで給料は高くない。
ここで働きやすい状況を重視するのはbeing型だなと改めて思う。
給料だけを考えたら、ぶっちゃけどっちも低賃金の部類。
往復も考えたら1日10時間以上は仕事に盗られるわけで
肝心なのは働きやすさで選んでいたこと。
給料が低くても心身共にストレスが低い職場なら働けて
給料が低く心身ともにストレスが高い職場は限界で逃げる決心をする。
目的があるわけじゃない。
ただ、どういう状態でありたいかが決定軸だったんだ。
どうありたいかを重視するbeing型の概念は
今までの自分の行動指針がわかるようになった。
苦しいこと、辛いことがないなら
嬉しいこと、楽しいことがなくていいというのも
目標ではなく状態を考えていたということだし
給料が低くてもゆるく働けるから働くが
給料が低い上に働きやすくもない職場では働かない
俺の決定基準は目標じゃなく状態だったんだ。
今までバリバリの起業家たち
セミナーもバリバリして、お金もバリバリ稼いでいる人たちが
目標が大事です!目標がないと始まらん!みたいに言ってたのは
彼らが目標に向かっていくtodo型であったからだ。
todo型、being型という概念がなかったから
良いこと言ってる、目標が大事なんだな!
俺も目標が欲しい、見つけたい、どこにある?って思った。
しかし、そんなもん転がってない。
あったら今までの人生で見つかってるはず。
次第に夢や目標があるだけで勝ち組だよなと
目標のない自分=負け組の思考に自然となってしまった。
まぁ、それも目標があっても誰しもが達成できない
あれば達成できない現実とのギャップで苦しむ人がいるから
率直に勝ち組ですねなんて思わなくなった。
これは学び始めのときと、色々学んだ後の精神の成熟の影響。
目標の有無で勝ち組、負け組は考えなくなったが
それはそれとして、目標は必要だと考えていた。
しかしずっと見つからないまま時がすぎる。
そして今年は色々と自分が納得できる答えに辿り着けた。
ズルの知恵本で作曲家の小椋佳氏が
「人生の目的などというものは最初からないし
自分で作るしかない。もっと言うならば人生に意味などありません。
それでも人は生きなければならない」
と述べたのを知り、そうか目的なんかないんだ。
よし、人生楽しく生きるのを目標にしようと思うようになった。
自分の人生におけるミッション、使命を探すことを辞めた。
そしてbeing型という概念を知り
目標に向かっていくtodo型ではそもそもなかったと腹落ちした。
この8年間、ないものを探していた。
もともと精神が未成熟だったこともあり
心を耕す準備は他の人より必要だったからこそ
これだけの年月をかけてしまったのかもしれない。
目標なんか血眼になって探しても見つからない。
目標よりも状態を重視するbeing型なんだから
そもそも目指すべきものが違ったんだ。
それでも世間は若者の頃から夢を持て、大志をいだけと言い
目標も見つからない自分をどうにかしようと
成功哲学や自己啓発の本やセミナーに触れる
触発されるが、気質が違うので長続きしない。
目標がない、見つからないダメな自分と自己嫌悪に陥る。
これって現代の負のループだと思う。
俺もダメな自分を変える方法みたいな音源きいて
目標がないと始まらん、変わりたいって言っても
目標がないと変われないの当たり前じゃん
みたいに講師の人が力説していて。
講師の人が自分はずっと変わりたいと思っていた
だから変わりたい人の気持ちがわかるし
こうすれば変われるということに一家言あると。
確かに、彼は進学校の落ちこぼれで
劣等感というのも育みながら育ったのかもしれない。
そしてそんな彼がダメな自分を変えたいと思って
色々と勉強したのも本当だと思う。
そして自分と同じように変わりたい人を手助けしたいと
思ってるのも嘘じゃないと思う(それがビジネスとしても
ただ、やはり彼も1%のtodo型なわけで
というか成功するタイプはtodo型多そう。
結果的に、彼と自分ではそもそもタイプが違うのがようやくわかった。
最近はもうメルマガも読んでないし、音源も買ってないけど
かつては音源に何十万とお金を出した。
ただ、その全てが無駄だったとは思わない。
確かに目標設定といったtodo型の講義は
自分には結果的にはタイプが違ったと思うが
精神性を磨く面で役に立つ話も多かったのも事実。
何より、そういうメルマガや音源を聞いてきたからこそ
todo型とbeing型という概念がすんなり入ってきた。
彼らのお客さんは俺のような一般人ではなく
経営者や独立するようなタイプなので
そもそも客層からして間違っとったということになる。
一度リアル放談会と懇親会に参加したけど
ここで一番年収低くて何者でもない人物俺だけだろ…ってなった。
やっぱ何かしらすごそうな人達ばかりだったよ
年配の教師という女性は、こういうことやりたいみたいに
教師を辞めた後のこともしっかり考えられてたし
税理士の人や、不動産オーナーとか
雇われじゃない人も多かった。
仮に雇われの人でも「今は」って感じの人たち。
その中で何の目標も特徴もない自分という構図
正直、経営者とかtodo型多そうだよね…
そした属性違いの場に参加できたことも
(安月給一月分くらい旅費含めてとんだが)
まぁ、見識を広げる役には経ったかな?
かなり遠回りだけれど、10年前の自分に転職の思考法を読ませて
あぁ自分はbeing型だわと納得しないと思うから
メルマガ、音源、別部署などなど色々な経験の蓄積で
ようやく自分はbeing型なんだって悟れた。
自分にとって大事なのはどういう状態か。
給料が安くてもストレスなく穏やかに過ごせているから
今の仕事が長続きしているということだった。
店長の給料見ても額面20万超えてないから
このまま10年20年過ぎても年収230万すら期待できない。
いつか、どこかで今の職場も経営が危うくなり
辞めるときがくると思う。
その時は40代になっているだろう。
再就職とかも難しいかもしれない。
ただ、心身がやられるような職場では働きたくない。
何かしら落ち着ける職場か、どこにも属さず
お金を稼げたらと思うのだが
悲しいことにスキルが足りない。
そして緊急性も感じていないから
ぬるま湯に浸かってゆでガエルになってる。
ただ、一つわかってのは
何かを達成しようと目標を掲げても
自分には向いていないということだった。
今までRPGツクールでゲーム作るぞとか
シナリオ作ってみるぞとか思ってたけど
全然進んでないのよね。
俺に必要なのは何か目標を立てることではなく
それが楽しいからやるという状態だった。
手段の目的化が理想だったんだ。
お金は手段であって目的じゃないから
お金を目的にすると挫折すると言われている。
お金じゃなくその先に手に入れたいものを目的にしなさいと。
ただ、料理やお絵描きは完成品の手段ではなく
手段が目的になるくらいじゃないと上達しない。
美味しい料理が食べたいから料理をする人もいるだろうが
料理人と呼ばれる人は食べるよりも作る方が好きなのではないだろうか?
お金が手段でしかないのは
目的とお金は地続きではないから。
お金は目的にワープさせてくれるだけのものだ。
対して調理と美味しい料理は繋がっている。
美味しい料理は食べたいが、調理はめんどくさい嫌いってなると
もう自分で作るよりも買うということになる。
美味しい料理が目的なだけなら、調理は必要ないからだ。
調理が楽しい、と美味しい料理のための手段が目的化すると
調理の腕も上達し、美味しい料理も結果として出来上がることになる。
お金みたいに目的へワープする関係なら
手段だと割り切って考えられるが
調理と美味しい料理みたいに地続きの関係なら
手段が目的化したほうが成果も上達する。
このアタリは前ブログである
山水の道コノハでも書いたことだが
やはり大事なことだと思うのでもう一度書いた。
世間は目標が大事だ!夢を持とう!
目標を達成するなら手段ではなく目標を見つめよう!と言う。
世の中に溢れる情報は目標に向かって突き進んで
達成できたtodo型が発信している。
でも99%の人間はbeing型なので
イイ話してると触発されても
タイプが違うので、達成できない。
結果として自分には目標がない、夢がないと
マイナスの効果になりかねない。
俺は成功者は多読だというので
速読術とかの本も買ったけれども
これも自分のスタイルじゃないとわかった。
しかし本はゆっくり読んでも良いんだとわかった。
速読とか世の中で言われてることそのまま受け取らなくて良い。
今年は色々とパラダイムシフトというか
長年自分が悩まされていた事柄が
ようやく方向性が違っただけだったんだとわかった。
being型だもん
どうありたいか、どういう状態が好ましいか
それを自分軸にしていいんだ。
見つからない目標を探して
どこ…どこにあるのと迷子にならなくていい。
人間に生きる目的なんてそもそもない
自分で作るしかないし
それでも生きていかないといけない。
言うなれば美味しい物を食べる
そんな単純な理由で生きててもいいじゃないかと。
人間の欲求からすれば睡眠も快適に取りたいが
やはり食べるというのが一番生きる行動だと思う。
寝るのはどこでも寝れるし
脳が勝手に眠くなる。
対して食べるという行動は
自分が能動的に動かなければ達成できない。
お腹すいたなぁ~って寝そべってるだけでは
何も食べ物は手に入らない。
これは人間でなくてもあらゆる動物でもそうだろう。
野生のドキュメンタリーとか見てると
やはり生きる為には餌を探すということが野生の生活だなと。
そう考えると現代社会は恵まれている。
毎日エサを探して歩き回らなくて良い。
働いて給料を得たらスーパーや通販で買える。
どうせなら食べないといけないなら
美味しいものを食べてハッピーになろうと今年から思った。
数年前の俺の食生活はひどいものだった。
朝はおにぎり1つ、昼はパン、夜はカップ麺
値段重視でとりあえず食べるという行為だけ達成していた感じ。
パンもカップ麺もスーパーで110~110円前後のやつを買ってた。
とりあえず安さ重視だと。
思えば歯がちょっと欠けたの栄養不足というか
ジャンクフードが栄養の吸収を阻害してたのもあると思う。
そしてカップ麺を買うのを辞めて1年以上過ぎた。
それでもあまり食に関心を払わなかったが
今年ようやく人間そんなたいそれた目標じゃなく
美味しいものを食べるとかそういうので良いんだと悟れたので
収入は限られているけれど
これからは美味しいものを食べていきたいと思ってます。
todo型は最初からこうするぞ、こういう世界を目指すぞってなるかもだけど
being型はそういうミッションとか使命とか考えない方が良い。
どうして自分にはそうした目標が見つからないんだ…って悩むだけ
スタイルの違いだとわかればtodo型の言う成功法則に縛られなくなる。
もちろんtodo型の人はtodo型の人の話が合うだろうけど
being型で本や音源、メルマガ、セミナーで勉強してるのに
何も変わっとらんって人はそもそも参考にするのが違うだけかも。
俗に言う学び地蔵とか、勉強してる感で安心してる人とか言うけど
それもお金を持ってるbeing型なら納得だ。
状態を重視するのだから、勉強してる感で落ち着いてしまうのかもだし。
ただ、変わりたいのに変われない
何をしていいかわからず立ち止まってるって場合は
todo型の目標がないと始まらない目標第一って言葉に惑わされてる。
目標どこ?目標ない…って探して迷子になって最後には立ち止まる。
そしてイカンイカンと思い直して
また本読んだり音源聞いたりセミナー行ったりして勉強する(したつもりになる
そしてまた何か探さなきゃっての繰り返し
なんていうか人が変わるお手伝いをしたいって熱意がある人もいるけど
根本のスタイルが違うんだから、こぼれ落ちていく人が多いのも納得。
ただ、残ったのは起業家とかやり手ばかりになるから
結果として残った顧客の質は上がるかもしれない。
そして同じtodo型の集まりで強化される。
俺みたいにさほどお金が欲しいという強い動機もなく
確かに年収は低いけど頑張るって何を?将来に備えるため?みたいになると
何か目標を定めてむしゃらになりましょうってのは合わなかった。
昨夜はふと夜空を見上げた。月に雲があったけれども
秋風も心地よくなり、少し雲がかかった月が綺麗だった。
完全に覆われると月の美しさが覆われて風情がなくなるけれども
少し雲がかかってるくらいだといい感じに見える。
美味しいものを食べて、目に見える自然を美しいと思う。
人生ってそういうので良いんだよな。
そうして自然体で人生を楽しめた先に
何か有意義なことをしようとする、したくなる気がする。
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