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DNAが変わってしまったら自分は自分だろうか?

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骨髄移植をすると数年後にはDNAが
骨髄提供者のDNAに変わってしまう事例があるらしい。

ネバダ州のクリスさんという方は骨髄移植を受けて
保安官事務所の同僚から検査してみたらどうだと勧められて発覚
唇や頬はドナーのDNAにクリスさんのDNAも含まれていたが
精子のDNAが全てドナーのDNAになっていたらしい。

頬や唇の細胞サイクルよりも
3日で入れ替わっていくと言われる精子はサイクルが早いから
すべてドナーのDNAになってしまうということが起きたのだろうか。

こうなると性犯罪などでDNAを証拠とする科学捜査により
混乱する可能性が出てくるという。
2004年の暴行事件で容疑者の可能性があるとDNAが一致した人物は
事件があったときは刑務所にいた。
彼は兄弟から骨髄移植を受けており、最終的にその人物が有罪判決になったとか。

そしてDNAは加害者だけでなく被害者の身元も混乱させる事例
韓国で交通事故の犠牲者をDNAで特定しようとしたら
外見は男性なのに血液のDNAは女性だったという。
最終的にこの犠牲者は娘から骨髄移植を受けていたことが判明した。

クリスさんは既に子供がいて、その後に精管切除術を受けたので
DNAの変わったクリスさんが子供を作った時に
その子供のDNAが答えはもうわからない。

しかし精子が100%ドナーのDNAになったと判別してしまったなら
自分の子供ではあるが、自分のDNAを受け継がない子供が生まれる可能性が高い。

クリスさんに関しては検査以外に特にこれといった問題はなさそうだが
世の中には骨髄移植をして人が変わってしまったという人もいるらしい。
記憶は変わらないので、自分…と思うだろうが
自分の体を構成するDNAが自分でなくなってしまった時
それは自分なのだろうか?
もしも人格にも影響が及ぶようなことがあれば
記憶を引き継いだ他人になる可能性も無きにしもあらず。

まだドナーが家族とかなら血を分けた存在だからマシかもしれないけれど
完全に他人となると、命を取るかDNAを取るかということになるかもしれない。

自分自身、もしそんな選択を迫られたとしたら
自分は自分のまま最後まで生きることにすると思う。

これは残す者もいない独り身故にできる決断とも思う。
子供がいるならば命を選ぶ人もいるだろう。

DNAそのものが人格ではないと思うが
考え方に影響は少しくらいはある気はする。
まったく影響しないとは言い切れないだろう。

ただ、記憶はそのままなので
今までの生き方をいきなり脱線することもないだろう。
よほどの事がない限り問題ないと思うし
変化があったとしても些細なことかもしれない。

知らぬが仏というが
DNAが変わっていくということを知ってしまうと
万が一の時に他人の移植は拒むかもしれない。

今はただ、五体満足健康でいられることに感謝したい。

うんやはり健康はありがたい。

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