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電車に乗る人がみんなスマホを見ているのはなぜかという記事

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タイトル通り、電車に乗る人がみんなスマホを見ているのはなぜかという記事があった。
読んで見るとメッセージの通知だけで快楽物質がドバドバ出る。
予測不可能なことに人間は刺激されるみたいに書いてあった。

そういう側面はあるだろうけど
正直、個人的にはそうかなぁ?という気もしている。

電車に乗る必要のない車社会なので俺の方が的外れかもしれないが
それでも人々がスマホを見るのは予測不可能な快楽だけじゃないと思っている。

俺も飲食店とかで料理を待っている時にスマホを触っている。
でもSNSが病みつきだからではない。
手持ち無沙汰で視線の定めどころかないから
とりあえずスマホ見とくかとなっている。

SNSはフォローしてるのがえちちちイラストが流れていくるので
とても公共の場でチェックできない。
なので当たり障りのないメール(別に見る必要はない
でもチェックしているフリをしている。

果たしてここに予測不可能な快楽が入り込む余地があるだろうか?

科学的に考えたなら、ドーパミンがーみたいな理由付けが正しいだろうけど
個人的には他人と目が合わないように下を向いている
そんな感じじゃないかなと予想している。
目線の定めどころがないからこそ、スマホという存在はちょうどいい。
スマホがない時代は本や新聞がその役割を担っていただろう。
いつも本や新聞を読んでいた人は活字中毒だったとでも言うのだろうか?
必ずしもそうではないはずだ。
いつの時代も人と顔を合わせないようにとか
痴漢する獲物を物色してたみたいに思われないように
第三者から見て他に集中していましたという状態になる目的もあったはず。

SNSは不確実性で快楽物質があるからドヤァ
みたいな答えは一般人向けじゃない気がする。

こうした記事を書く人は仮に電車に乗ったとしても
スマホではなく電車内を観察していると思う。
事実この人は電車に乗ってる人の大半がSNSを見てると観察したわけで
他にも電車の広告はどんなのがあるかなとか
職業病的に見るもの聞くもの無駄にしないタイプだと思う。

だから人々はなぜ電車でスマホに夢中になってしまうのか!?
と考えた時に不確実性が快楽になってるんだな!と結論が出てしまうのだろうが
たぶん電車乗ってスマホ見てる人、そこまで中毒じゃない人も多いと思うよ
単に視線を落とす先はスマホがちょうどいいだけで
人と目線が合わないようにって下向いて歩くのと同じようなもんじゃないかな。

これは電車内、でなくとも歩いている時
どこかのお店で注文を待っている時など
回りを見回して観察する人と、誰かと目線が合わないように落とす人では
そもそもの考え方が変わってくると思われる。

だから俺はSNSの不確実性が脳内に快楽物質を出してるんだって意見を見ると
あーよくある答えねみたいに思ってしまう。
俺は単に手持ち無沙汰で視線のやり場がないから
スマホがちょうどいい落とし所と考える。
メッセージが頻繁に来て目が離せない人はそういないんじゃね

ヤフーに同じ記事が転載の形であったが
ヤフコメ見ても視線のやり場困るからとか
手持ち無沙汰だからと行ったコメントが見られた。
これが一般人の感覚だよな…何も小難しい理論があるわけじゃない

単にスマホが手元にあってちょうどいいからだよね。

コメント

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