コップに水が半分入っているのを見て
「もう半分しかない」という見方と
「まだ半分もある」と思う見方は有名だが
ドラッガーが言った本来のコップの水理論からかけ離れてるように感じた。
コップの水が半分というのは「もう」でも「まだ」でも
量的に変化を起こす行動が存在しない
単に半分もあるなーとか半分しかないなーって感想で終わり
本来は半分入ってる(不足を感じていない)
半分空である(埋める空白がある)
というイノベーションの考えでいくと
まだ半分あると思ってしまうのは
水が半分入っていること自体に着目して
ある意味でそれで満足している
もう半分しかないというのは
ある意味で水が半分空に減ったということに着目している
悲観的に見えているが水を足そうとする気が感じられない
どちらも共通するのは最初は水は満タンだったという先入観
「もう」だろうが「まだ」だろうが
最初から水はそれだけしかなかったかもしれないのに
本来のコップの水理論で言えば
まだ半分空じゃないかっていうのは
ある意味で両方合わせてる気がする
まだ半分あるから「まだ」を取り
もう半分しかないから「半分は空」という概念を取る
まだ半分残ってる
つまり半分は空じゃないかと考える人間の方が
じゃあ半分を埋めようとイノベーションを起こす人材になる。
決して半分で満足することなく
かといって半分という手持ちに悲観的になることもない
半分もスペース空いてるな
じゃあ埋めるかと行動できる
企業も人も変わりたくないという意識があると
空を埋めるという発想にならない
手持ちを見つめて「もう」とか「まだ」とか考える
そう、コップを埋めるために
適当なものを入れてしまえば
そもそも残ってた半分の水も飲めなくなるかもしれない
逆にコップの半分に焼酎やウイスキーを入れれば
お酒を割ることができるかもしれない
私の履歴書でヘンリー・クラビスが
日本の風土は私達はできないのWe cannotだが
私は反対の私達はできるのWe can
いつもコップの水が半分残っている。
残り半分を埋めようと攻めていると書いていたの見てから
今回こうした考えに至った。
思えばコップの水理論は有名だけれども
なんか知ってる話だけじゃ不十分だったなと感じた。
「まだ」だろうが「もう」だろうが
現状を変えようという気持ちは感じなかったが
ヘンリーのもう半分を埋めようと攻めているというのから
あぁ、なるほど行動デキる人は
埋めるために行動する人なんだとわかった
水を見てるだけでもう半分ですねーとか
まだ半分ありますねーでは何も変わらない
ポジティブな見方かネガティブな見方の違いだけで
水そのものには何の変化も起こさない
考えてみれば色々な選択肢があるのに
コップの水理論は有名で答えは二択みたいに思ってた
半分を埋めるために攻める
こうして新しい視点を得られて良かった
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