前回の日記では、being型はtodo型のように
目標を重視せず状態を重要視すると書いた。
そして自分は、美味しいものを食べて
人生を楽しむことにしたと。
血眼で夢や目標を探すのはヤメだという感じに。
ただ、そんなbeing型でも目標は絶対にいらないのかと言われたら
それは違うのも事実である。
美味しいものを食べて人生を楽しむという価値観重視ではあるが
ある意味でこれを人生の目標にしたとも言える。
単に具体的ではなく、そういう状態を望んでいるというだけ。
価値観というか意思決定基準を定めたという感じだ。
todo型は達成できる目標を打ち立てて進んでいくが
todo型もこうした到達できない目標を持ってるはず。
それは北極星のように、進むべき道標だから
北極星を目指して到達しましたァ!ってことは永遠にこない。
これと同じで美味しいものを食べて楽しむという目標も
◯月△日ただいまをもって目標を達成しましたとはならない。
人生の終わりで振り返って、達成できてたなって思い返すことはあるかもだけど。
少なくとも元気で生きている間は北極星のような道標でしかない。
being型は達成できそうな目標を打ち立てて
どんどん前に進んでいくのが苦手だとは思う。
なんとなくその場の流れや雰囲気で~って感じでやる。
そんなbeing型でも、どこかに行く為には
ちゃんとした目標が必要になる。
休日外に出て何処に行こうかと適当に出歩くよりも
今日はここに行くから出かけようってことの方が多い。
これは人間は白黒、オンオフハッキリ別れてないからだと思う。
being型寄りではあるが、0:100でbeing型ではない。
もちろん世の中には100のbeing型、100のtodo型はいると思うが
大体の人は単に比率が偏ってるだけだと思う。
俺も大まかな所ではbeing型だが
出かける時はここに行くと、ちゃんとした目標がないと出かけない。
それと同じでbeing型もなにか目指したい
夢とか目標が見つかったら、そこに行く事を目標にして頑張れると思う。
人間最終的にはこうするって意志がないとどこにも到達できない。
しかしである、being型は常にアンテナ鋭く
目標や目的を見つけられる性質じゃないかもしれない。
それなのに夢や目標がない!どこにあるんだ!って探すと
探しものをしている時ほど見つからない現象と同じ事が起きる。
探しものも探すのを諦めて、ふとした時に見つかることあるよね。
どこにある!?と思えば思うほど
以外と見えなくなるものもある。
being型にとっての目標などはそういうものだと俺は思う。
だからこそ、俺はまずは人生を楽しむことを北極星とした。
そうそう到達できない大目標だ。
その過程で達成可能な何かが見つかれば良い。
探しものを血眼になって探すのではなく
自然体で過ごすことで、目に入るかもとスタンスを変えたわけだ。
ただ、それでも今までと変える必要がある。
今までと同じ生き方をしていたら、未来は今の延長線でしかない。
目標を血眼で探すのを辞めたが
今まで過ごしてきた通りにしようとは思わない。
being型で今に甘んじようだと人生変わらないままだ。
だからこそ、俺は人生を楽しむという北極星を用意した。
休日、布団の上でスマホいじって過ごす休日は楽しいか?
もう休みが終わるって思う時に後悔しないか?ということである。
俺は少なくともYESと自信を持って答えられない。
だからこそ、最近はどこかにお出かけしたい欲が大きい。
それも自分がまだ行ってないところ、見てないところにだ。
それで人生は大きく変わらないかもしれない
結局収入は仕事を変えない限り年収230万すら怪しいわけだし。
ただ、少なくとも布団の上でスマホいじって終わる休日よりかは
行ったことない場所に出かける休日の方が充実してるかなとは思う。
それで何か変わるかどうかはわからん。
ただ、振り返った時に何もなかったなぁってのよりも
あの時ここに行ったなって思い出のセーブポイントは増やしておきたい。
20代って思い出何かあったっけって思い出すと
ほとんど何もない。単にネトゲして過ごしただけ。
唯一高校の時の友達が京都の大学に行ったので
一度遊びに誘われていったことと
その友達が地元に帰ってきた時に祭りに行ったことは
薄っすらと覚えてる。
その友達は一家全員引っ越して、地元に帰ることがなくなったから
もうそのまま関係切れちゃったけどね。
その時一緒に遊んだもう1人は職場でネズミ講に巻き込まれて
こっち勧誘してきたから切った。
何より当時の俺は人付き合いというのがめんどくさくて仕方なかった。
高校の友達はあくまで学校でつるむ相手が必要だっただけで
それ以上は何も思わなかったんだ。
今はそうした友達という存在がいないことを勿体なく思う。
昔の俺もっと人付き合いがんばってくれ…
京都に行ってからも関係持とうとしてくれた彼は元気でやってるかな…
10代20代の俺のbeingは辛いこと悲しいことがなければ
嬉しいこと楽しいこともなくていいだった。
その為には一番トラブルになりそうな
人間関係というのが不要なものだった。
その結果、仕事以外はネトゲをするしかない人生だったというね。
そういう反省を込めて
今の俺は行ったことない場所に行ってみて
美味しいものを食べたいと思う(今は1人だけど
10代20代はbeingの設定が間違っていた。
その結果、友人もなく仕事以外はゲームしかない人生を経験した。
だからこそ、同じ人生を延長しないように
ここらへんでbeingの変更を行ったわけだ。
俺にとってこれから必要なのは人生を楽しむには
どうしたらいいのだろうという問だ。
その結果、人生を楽しむにはこういうことがいいんじゃないかというのがあれば
それをするという達成可能な目標を打ち立てることになるだろう。
今はただ人生を楽しむというbeing北極星を見つけただけ
そこを深めていくのがこれからの課題となるだろう。
俺はbeing型で、todo型のいうまずは目標がないと始まらん
って言葉で目標を血眼になって手元足元を探すのを辞めただけ
todo型の言うことは、自分には合わないことも多いけれども
being型の人間でも少しはtodo思考も持ってる。
0か100かの極端な偏りの方が珍しい。
だから俺はtodo型の話であっても
共感できることや、取り入れられそうなことは
捨てずに活かしてみたいと思う。
ただ、目標がないとダメだって自己嫌悪になりそうな
そういうtodo思考100%にこれからはならないようにするだけ。
ほんとにね、being型という概念を知らない時は
この成功者は目標がないと始まらん、目標がないのに変われるわけないって言ってて
自分には目標も夢もない…って自尊心が毀損されていくだけでしかなかった。
自分に合わない極端な話は切り捨てて
これは使えるかもって所だけ拾おう。
todo型のノウハウだけで変われる人は
自身がtodo型であるか、being型でもtodo比率の高めな人だと思う。
ほんと自分というのがわからない時ほど
色んな人の意見を知るって大事だよね
その点で本は偉大だと思う。
それも成功哲学とかモロじゃないやつ。
自分は今のところ転職を考えてないけど
転職の思考法でbeing型という概念を得られたのは
自分にとってのパライダムシフトであった。
昔に比べたら精神的に成長したけど
自分には目標がない…って自尊心傷つけられるのは
todo型のノウハウを参考にしてたからだってのもわかったし。
まぁ、人生を楽しむって大目標で
これからの人生変わるかわからないけど
少なくとも昔の路線を延長して予定調和で行くよりも
楽しい人生にはなりそうだ。
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